ゆうとの日記

学生生活終了間際の学生が日々のアウトプットをするための日記です。アクチュアリーだったり、映画だったり、数学だったり、いろいろなことについて雑多にアウトプットしていこうと思います。

養老孟司の〈逆さメガネ〉を読んで。(20.5冊目)

皆さんこんにちは。ゆうとです。

今回は読書感想ブログです。

今回読んだ本は、養老孟司さん著、「養老孟司の〈逆さメガネ〉」です。

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子どもの教育に関して書かれた本で、その子どもの教育に際して、都市化と絡めた議論を一貫して行う本です。2000年代初頭に書かれた本なのですが今読んでも納得してしまう、考えさせられる本です。話口調の文章なので、養老さんと対話をしている感覚で読んでいました。

具体的なことはこのブログの下の方にまとめています。

 

この本を読もうと思った理由は特にありません笑。今年の3月で今の家を出るので、その際にいらない本を処分するつもりなのですが、積読にしていた本は読んでから売っちゃおうと思ったのです。単なる積読消化ですね、今後は少しの間、積読消化週間が続く見込みです。

 

とは言っても、養老孟司さんは僕の大学の国語の入試問題で何度か出題されていて、過去問演習の時に面白い文章だなと思っていたのでもともと気になっていた方ではありました。(過去問、読解問題としては非常に難解な問題になるのが嫌でしたが)

 

さて、今回学んだことをまたノートにしてみました。

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こんな感じ。今回は何かノウハウを学ぶための本ではないですね。なかなか骨のある、難しい内容だったように思います。

いつもの通り、気づきや感想を書いていこうと思います。

 

○気づき

① 本書では日本全体で都市化が進んだこと、その都市化というのが、単に都市開発が進むというだけではなく、社会が意識中心の社会、脳化社会に変わったことを指摘しています。都会というのは人々の意識の産物でできた社会だ。そこは人工のものだらけで、自然を認める余地はない。空き地があってもそこはただビジネスに使われるはずの土地で、そこに住む生き物たちは無視されている。そんな状態です。

つまり、都市化された社会においては自然が現実ではない、著者の言葉を借りるなら自分の行動に影響を与えるものではなくなっているのです。

 

自然とは、人間の意識でコントロールできないもの。生き物、子ども、無意識などのこと。

対して都市化とは、意識、大人の世界、人工を意味するように本書では使われています。

子どもは上の意味で言う自然側のものなので、都会ではそれが見えていない。それが問題なのだと言うことでした。

 

僕がtodoとして具体的に出来ることはなんなのでしょう。すぐ答えが出そうにありませんね。

社会全体として都市化が進んできてしまっている以上、個人として何か大きなことをするのは難しそうです。うーん。

すぐに解決策が出そうもないので、この問題については今後、もっとしっかり自分なりに考えてみる必要がありそうです。都市型社会の基本原則である、「ああすればこうなる」のように、すぐ解決策を人に求めるのではなく、自分なりに考える時間を取るべきだと思いました。考えること自体がtodoなんだと思います。

 

ただ、本当に小さな行動としては、子どもを育てにくい社会になっていると言う事実があることに鑑みると、子どもや子育てをしている方に対し寛容になることは大切だと思います。もともと自分は割と子どもに寛容な方です。というか、電車とかお店とかでにっこりしてきた子どもに対しては微笑み返したり、たまに手を振ったりしています。また、電車で子どもが泣いていてもあまり気にならないのですが、子育てをしている人がいることをもっと身近に当たり前に思おうと思います。

子育てをしている人が、少しでもその時子育てしやすいような雰囲気づくりってみんなが出来ることだと思うので、上のように考えることは個人レベルでは大切なことじゃないかなーと思いました。

 

②次です。これは割と重要なことだと思うのですが、一元論に偏らないように気をつける、ということです。

何故こう考えたか。理由を説明していきますね。大きくは2つあります。

元々の気づき自体は、都市化社会における「じゃあどうすればいいんだ」(問題に対してすぐに解決策を求めようとする姿勢)を減らして少し自分で考えようと言うことでした。この時、自分はすぐ人に解決策を求めることを是としていないような考えが頭にありました。

一つめの理由ですが、ある種こう言う一方的な決めつけの積み重ねが都市化につながったのではないかと思ったのです。というのも、都市化は意識化と同じことです。意識が一元的な見方で物事はこうあるべきだと考えてしまうと、社会はそのように進歩していきます。その結果が今の社会な気がするのです。

都市化が進んで生活が便利になることが悪いことだとは思っていません。ただ、これまで切り捨ててきた考え方も大切な部分があるよねってことに注意しておきたいのです。

その意味で一元論はあまり良くないなと考えました。本書でも最後に少し触れられていましたがそれは著者に大賛成だなと考えました。

 

もう一つの理由としては、「ああすればこうなる」ということを知るのが今の社会では大切な場面があるということです。会社ではわからないことが出た時、いつまでも自分で考えて仕事を止めてはいけません。仕事は総力戦で上司や先輩の力をお借りすることが大切だと、以前読んだ本、入社一年目の教科書にも書いてありました。ですから、どうすればいいんだと尋ねることは、やはり常には悪いことではなく、必要なことであるということです。解決策を求めることも、自分なりに考えることも、両方大切。これを意識しておこうとかんがえたため、一元論に賛成できないと一般化したのです。

 

③最後は知に関してです。これは読んでる時にすごくわかると共感しながら読んでいました。

知は、現代においてはノウハウということに置き換えられて来てしまっているということです。本当はそうではなく、本質としての自分も変わるということだという著者の言葉にひどく感銘しました。

思えば、この本を読むまでは社会人になる前だからと、ノウハウ本ばかりを貪っていた気がします。それはそれでとてもよかった。今後の役に立てられそうないい知識が得られたからです。しかし、そればかりではやはりあまりよろしくないなと感じました。単にノウハウを詰め込むだけでなく、学問をしっかりやる。人の心に触れる、昔の人の言うことに耳を傾けて思いを馳せてみる、都市化される前の時代の人々の文章に触れてみる。そういうことにこの本を読んで興味が湧きました。

積読消化があるのですぐに行動には起こせませんが、その後に昔の時代の本を読んでみたいなと思いました。

 

学んだことをすぐアウトプットしたので、分かりにくいブログになってしまっているかもしれません。申し訳ありません。

新たな気づきや学んだことはたくさんあって、まだ自分の中にしっかりとは入ってきていない気がするので、改めて考え直してみて、少しずつ修正していこうと思います。気長にお待ち下さい。

 

それでは今回のブログはこれで終わりにしたいと思います。最後までお読みくださりありがとうございました。

 

p.s.過去の読書感想が気になる方はこちらをどうぞ。

「若き数学者のアメリカ」を読んで。(20.1冊目) - ゆうとの日記

「メモの魔力」を読んで。(20.2冊目) - ゆうとの日記

「入社1年目の教科書」を読んで。(20.3冊目) - ゆうとの日記

伝え方で人生をより良いものに!「伝え方が9割」を読んで。(20.4冊目) - ゆうとの日記